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2018年2月25日 (日)

雑記 公園の滑り台撤去のニュースを見て思った事

MHFとは無関係です。いつも通り構成を考えず勢いで書きます。そのため言いたいことは伝えきれないと思います。後々修正いれるかもw

何気に今治市の滑り台撤去の記事を読んで思った事を。

少し前から動画で勢いよく飛び出す動画(特定条件が重なると勢いがつくらしい)が配信されたり、TVのバラエティで「日本一危険な滑り台」と称して放送されたらしいです。

看板で寝そべって滑らない事などの注意喚起の看板を新設した→抱っこされて一緒に滑っていた2歳児の子供が怪我(2人一緒に滑ってはいけないとは書かれていなかったとのこと)→使用禁止→それでも使われるので撤去を決定。といった流れですね。(記事を読んだ限りの情報ですが)

この滑り台ですが1991年、今から27年前に設置されたものです。死亡事故が起こってないのが救いでしょうか。

こういった記事を読んでつくづく思うのですが、、、「どうして危険という事に対し無警戒なの?」ということ。結論からいえば危険を察知する能力を身に付けてない人が増えたことが要因でしょうけど。

〇〇な危険な使い方があるから禁止、想定外の使用方法があるから禁止。とかここ数年で目にすることがあります。大体はちょっと考えればやってはいけない事を動画の閲覧数稼ぎの為や面白半分で撮影、配信→マスコミが視聴率の為にそれを面白おかしく派手に放送→TV等では最後に「少しだけ」絶対やるな!と告知してもバカがそれを見てやって大事故→使用不可に。の流れではありますが。

こういった時「危険だから廃止して当然。」とかいう意見を言う人もいますが、、、ちゃんとした用途のある道具を「正しい使い方」、「正しい使い方」(←ここ重要だから2回書きました)をしないから危険なのです。

危険だから~という言い方をちょっと発展させてみましょう。

  • 料理につかえるけど人を殺せるから包丁を廃止
  • 部屋をあたためれるけど火事の危険があるからストーブ、ファンヒーターの廃止
  • 移動に使えるけど人を撥ねるから自動車、自転車の廃止
  • 医療に使えるけど麻薬の投与につかえるから注射器の廃止
  • 情報収集や発信に使えるけど社会混乱の恐れを招くからネット使用の廃止

こうなったら困りそうなのをサクっと書いてみました。いずれも長い期間使われていて危険な事があっても正しい使用でメリットの方が大きいので廃止されない物ばかりだと思います。

道具ってのは使い方さえ間違わなければ問題ないハズなのです。正しい用途、使用方法で使っていて事故があり、改善では防げない時に廃止の流れが本来は正しい選択のはずなのです。

だけど最初の方で書いたような流れとかで想定外の事をする人が事故を起こす。それを見て物事を教える能力の無い人が廃止しろ!と騒ぐ。

その為「何かあってからでは遅い」といった考えになり廃止した方が早くなります。つくづく思うのですがなんで想定外の事をした人を先に批判しないの?毎回同じことの繰り返ししかできないの?という事です。某動画サイトではその滑り台の動画を見ることができますが正しい使い方でないから危険!という事を伝えてない動画がありました。

「見れば危険とわかるだろうww」とかいう人もいるかもしれませんが、危険性を明確に伝えない中途半端な考え方の方が危険だと思います。

本来こういった動画を削除する方が先なのではないでしょうか?

とりあえず「危険性を感じたら何でも廃止だったらそれ以上文化の発展はない」とだけは書いておきましょうかね。


最初の方に帰ります。危険を察知することに対し、言いたいことをつけ足すと親御さんは子供を危険から守るのであれば命の危険がある行動であれば物心がつくあたりから叩いてでも止めさせろという事です。

叩くのは体罰だとかいう人がいると思いますがハッキリ言います。その考え方がすでに子供です。子が生まれたから親になった。ではなく子から見て尊敬される親になる為、子供が育つのに合わせて親として成長しろと言いたい。叩く際無節操にたたくのはNGです。ですが必要なときに叩くというのは重要な事です。ただ叩くだけではなく、そのあとに

  • 子供にどうして叩かれたのかしっかり考えさせる
  • そのことを子供の口からいってもらい親との考えの違いを確認する
  • 違っていればそのことを違いを教え、合っていれば褒める
  • 最後にやってはいけないことをやらない約束をする

までやって叩く意味があるのです。危険な事っていうのは学ばないとわかりません。学んだ機会がある=その時は死亡事故といった事があります。ですがたまたま死亡事故にならなかった。死亡しない状況でたたかれた→親はそれだけ本気で危なかったという事をしっかり伝えて欲しい思います。

その繰り返しで危険を察知する能力が小さいころから身につくのです。

正しい用途で使われなかった滑り台の撤去の件から危険を学ぶことの需要さを広げていってほしいと思います。

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